色々検索をかけてみると、江戸=東京都でもないし、江戸=東京23区でもないようです。
東京都公文書館>江戸の範囲・拡がる江戸の項によれば、徳川幕府開幕以来、人口の増加に伴い、じわじわと「江戸の町」が拡がってきた様子がわかります。最終的に1678町、「大江戸八百八町」の倍以上に膨らんでいるのには、ビックリ。
もちろん江戸以降も人口は増加し、埋め立てによって東京は拡がっていきます。
大きな江戸の町、その中央には江戸城、城を護るように武家屋敷が取り囲み、周辺には町人が居住・寺社も点在していました。武家・寺社・町人、それぞれの支配系統が違うため、文政元年(1818)まで江戸の範囲についての、正確な解釈はありませんでした。
ビバ!江戸>江戸の範囲によれば、
文政元年(1818)目付 牧助右衛門から「御府内外堺筋之儀」についての伺いが出された。つまり「御府内とはどこからどこまでか」との問い合わせがあり、それについて幕府評定所で評議し江戸朱引図を作成したがこれが江戸の範囲として幕府の唯一の正式見解となった。
東京都公文書館所蔵の「江戸朱引図」はこちらのページ下部にあります。うーん、随分ザックリした地図。
現在の東京と対照した、ビバ!江戸>江戸の範囲で見ると、よりわかりやすいかも。緑色のラインが海岸線、赤い点線が寺社方勧化場支配の範囲、黒い線が町奉行所支配の範囲となります。
拙作「山茶花」の作中で、岡っ引きである辰次親分がお峰と出会うのは、上野界隈かなとイメージしました。一方で、お峰の生家がある王子稲荷は、朱引図の北限あたり。正確に言えば江戸の外らしいのですが、当時の感覚からすれば江戸の北端の名所(行楽地)であったようです。
参考
東京都公文書館>江戸東京を知る>江戸の範囲〜天下の大江戸、八百八町というけれど
ビバ!江戸>江戸のトリビア・プチうんちく>江戸の範囲
